kindle出版予定の体験記をここで公開

趣味・生活 体験記、学校生活

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1 :だっちーさん:2017/11/16 01:34:34 (6年前)  0MONA/0人

まだ全章書けていないので第1章公開します。
目次1.極度の人見知り暗黒時代物語2.世界がガラリと変わった瞬間3.これからの人生「はじめに」こんにちは、だっちーです。本書をお手にとっていただきありがとうございました。はじめに、簡単に私の自己紹介をさせて下さい。私は1997年、東北のとある都市に生まれました。現在は20歳です。生まれ故郷の幼稚園、小学校に2年まで通ったあと親の仕事の都合で転校。その後再び中学1年の春に転校。その後は5年制の学校に入学しました。現在はちょうど5年です。来年度からは大学へ編入となります。私が人見知りを克服できたのは、この5年生学校へ入学してすぐのことでした。まさに「高校デビュー」と言ってもいいかもしれません。しかし、入学当初は高校デビューしてやろうとか思っていたわけではなく、どうせ高校でも今までと変わらない「インキャ」なんだろうな~と思っておりました。しかしあることをきっかけに僕の考え方や人生が大きく変わりました。その僕が身につけた思考を惜しみなくお届けします。

2 :だっちーさん:2017/11/16 01:36:52 (6年前)  0MONA/0人

ただし注意点があります。自分を変えるのは自分なんです。人見知りや会話、人間関係で悩んでいる方はこの本を読んでぜひ一歩踏み出してほしいです。悩みが解決しないようでしたら私にメッセージ飛ばしても構いません。LINE(@akb2178e)で結構です。小学校から転校続きでしたが一番変化の大きかった高校1年の年が非常に濃い1年だったなぁと思います。そんな人生を幼少期から振り返っていきたいと思います。まだ20年と短い人生ですが大きく3つに分けて話していきます。第1章は人見知りの頃の話、自分が当時考えていたこと。第2章は人見知りがなくなった頃の話、きっかけとか考え方。第3章はこれからの人生。物語後は自分が会話はコミュニケーションを勉強して重要だと感じたことを紹介します。そちらもかなりボリューミーな内容で有料級のものですのでご期待ください。「1.極度の人見知り暗黒時代物語」まずは僕の幼稚園時代に遡ります。あの頃の僕に大きな人見知りはありませんでした。それは物心つく前から近くに同い年の友達がいたからなんです。気づいた時には近くにいたって感じですかね。幼稚園も同じでいつも一緒でした。そして2人で遊んでいるうちに友達の輪は大きくなっていきました。その幼稚園内ではみんなが仲良くしてイジメなんて概念がまずなかったんです。子どもですからケンカはもちろんありました。何でケンカしたのか覚えていることがいくつかありますが、1つ例をあげるとゲームキューブ(GC)ていう任天堂のテレビゲームが流行ってたんですね。Wiiの1つ前のハードウェアですね。いろんなゲームがあるなかですべてのゲームデータは1つのメモリーカードに入れるわけです。そのゲームデータは違うメモリーカードにコピーもできるんですね。それで友達のゲームデータがすごく強くて当時の僕はそのデータが欲しかったわけです。友達に言ってその友達は快く承諾してくれました。そして僕は「コピー」しようとしたところ誤って「削除」を押してしまったんです。結構バカみたいなことしてるんですが、その瞬間はめっちゃ怖かったです。データが消えてしまって「えっ…」て感じ。まさに言葉を失うとはこのこと。大人になった今では「なんだそのくらい」と思うんですけどね。青ざめていた僕に友達は案の定大激怒。そして大泣き。

3 :だっちーさん:2017/11/16 01:37:21 (6年前)  0MONA/0人

その後になぜか僕も泣き出すっていう(笑)結局その友達が「いいよ、もう一回やればいいだけだから」とその場は収まりました。そして、小学校時代に入ります。幼稚園の時とは大きく規模が異なりますよね。人は何倍も増え、校舎はより大きくなり、行事も増えます。小学校の入学時はまさにドッキドキです。初めて緊張を覚えるって人も少なくないです。いざクラスに入るとそこは知らない人ばかり。僕はここで少しだけ恐怖を覚えます。すみません、恐怖っていうとおおげさですね。ちょっとだけ「わーどうしよ~知らない人ばっかりだ~話す人いないよ~」みたいな感じです。幼稚園時代の友達はみんな同じ小学校ではないんですね。一番仲いい友達(先ほどのケンカ話で出てきた友達)は同じ学校でしたがクラスは違いました。結局クラスの友達ともちょっとずつ仲良くなっていきましたが幼稚園ほど仲いい人はできませんでした。仲良くなるのも最低1ヶ月はかかってた気がします。でも休日も遊ぶ友達は幼稚園のころの親友(以下、親友で進めます)です。この時点でもう人見知り発動しだしたなと個人的にも客観的にも思うわけですが夏休み前あたりで少しだけ遊ぶ人が増えました。ところが個人的あるあるで夏休み明けにその仲良くなりかけた人と久しぶりに会うと人見知り発動です。そんなこんなで1年が過ぎ、2年に進級してすぐに人生1つ目のターニングポイントがありました。それは親の仕事の都合による転校です。まあありきたいですね。転校経験がある方はわかるかと思いますが、環境がガラリと変わるため神経質な方はストレス半端ないです。転校先は以前住んでいたところよりもまあまあの田舎です。都会レベル10が最大だとしたら3とかそのくらいです(ちなみに最初住んでいたところは6)。学校の人数ももちろん少ないわけです。クラスで自己紹介があるのはもちろんわかるのですが転校早々朝のクラス朝会で第2学年全員の前で自己紹介させられました。めっちゃくちゃ緊張していたのを覚えています。そしてクラス会が終わった後教室に戻って一部の人からの質問責めにあい、一気にそこで壁を作ってしまいました。そこからちょっとした会話はしたことあるのですが結局友達はほとんどできませんでした。

4 :だっちーさん:2017/11/16 01:37:51 (6年前)  0MONA/0人

一度この沼に陥ってしまうとなかなか抜け出すのは大変です。明るかった幼稚園時代の自分はこのころにはすでにいませんでした。そこでその状況から脱するために何か課外活動をしようと親がスイミングスクールに通わせました。泳ぐのは嫌いではなかったので通うのは苦ではありませんでしたが、人見知り改善のために通わせた意味はありませんでした。スイミングスクール先も知らない人ばかりでしかも水泳ってそんなにコミュニケーションとる機会がないんですよね(笑)コミュニケーション力を上げるならサッカーとか野球とかチームプレーがあるものがいいと思います。しかし転校してからもうれしい出来事があります。それは1年に1回か2回親友に会いに行くことです。親たちが仲良かったのもあって夏休みとかに会いに行きました。めちゃくちゃ楽しかったですね。普段別にいじめられていたわけではないですが、気持ち的には常に沈んでいる状態でしたからね。そして普段の娯楽はゲームやマンガだけでした。ずっとやってればわかるんですけど一人でやっているゲームってやっぱ飽きるんですよね。当時は今と違ってオンラインゲームがないんですよね。正確にはオンラインPCゲームはあるんですけど自分のPCは持ってなかったのでずっとゲームキューブとかやってました。このころは「今頃友達がいればな~」と一人でゲームをしていたわけです。そんな生活がずっと続いて小学校4年生の冬、信じられないことが起きました。その日の夜、親友の親から僕の親に電話がありました。その親友が交通事故で亡くなったと。夜、冬の雪道を歩いていた親友に車が衝突。即死だったらしいです。今でも信じられません。まだどこかで生きてるんじゃないかと思う時がいまでもあります。その親友は小さいころから習い事をいくつも掛け持ちしていて常に努力している人だった。僕よりも生きているべき人間だったんだ。なのになぜ何もしていない僕がのうのうと生きて彼は死ななければならないのだ。やり場のない怒りに当時は気が狂いそうだった。不登校にさえなった。もうだめだ。生きる希望もない。結局そのまましばらくは学校に行くことはなかった。親は特に何も言わなかった。ほとんどの親なら世間体を気にして子供を学校に無理やりでも行かせたりするのだろうが僕の親は違った。自分の気持ちに整理が着くまで無理して学校に行くことはないと言ってくれた。最初の1週間は1日中寝ていた。

5 :だっちーさん:2017/11/16 01:38:15 (6年前)  0MONA/0人

涙なんかはとうに枯れていてさすがに寝るのも疲れるものです。しかし学校には行く気も起きなかった。親にも言った。「学校に行きたくない」と。親は理由を聞いた。僕だって子供なりに寝ている間今後どうするか考えていた。僕は「学校に行く意味がない。最低限の勉強は家でする。」学校は勉強するだけの場じゃないというのだろうと思っていたので親が口をはさむ前に続いて「どうせ学校にいても誰にも話しかけないし誰からも声をかけられない。行く意味ある?」僕はそれだけを言い放ち部屋に戻った。しばらくして親父が部屋に入ってきた。親父は仕事熱心で真面目な人だがふざけることもたびたびある、ユニークな人だ。「お前は夢があるか?将来なにかしたいことはあるか?」と聞かれた。てっきり説教されるのかと思っていたので拍子抜けだった。「いや特にないけど」その答えに親父は次のように返した。「学校にいくのは自由にしていい。行ってもいいし、行かなくてもいいし。ただし、学校に行かないならその間やりたいことを見つけろ。前みたいに何も考えずにただ生きるのはダメだ。」さらに続く。「やりたいことが見つかったら言ってこい。それで見つからなかったら学校に行くんだ。」と言われた。そのときは全く持って意味が分からなかった。結局、学校に行かせようとしてんのかよ。やりたいことテキトーにみつけてそれ言えば済むか。その程度にしか思わなかった。そしてまず、自分が何をしたいのか考えた。しかし考えても思い浮かぶものではない。なんせ今まで何も考えず、ただ遊んで暮らしてきたのだ。そこでネットサーフィンやテレビなどをみて探したりしてみた。本はマンガ以外あまり読んでこず、活字アレルギーだったため読まなかった。テレビではただバラエティ番組を見てるだけで比較的楽ではあった。しかしネットサーフィンがこれまた難しい。まず何に興味があるかわからない。さらに調べようにもここで「自分は世界にどんな職業があるのか知らない」といことに気づく。先生、警察官、医者、消防士、パン屋さん、、、小学生が思いつくような職業ばかり。結局、ネットサーフィンではあまり成果はなかった。それはテレビでも同様だった。いっそお笑い芸人でも目指すか、と思ったんだっけな。それで何もやりたいことは見つからず、学校へ行くことに。親父は「家にこもっていてもやりたいことなんて見つからない。外に出て視野を広げろ。

6 :だっちーさん:2017/11/16 01:38:43 (6年前)  0MONA/0人

視野を広げるためには人と話せ」なんて言われた。簡単に言うな。無理だ、今さら。急に話しかけるなんて変だろ。こいつらと話しても何も得るものはない、とすら思っていた。
ひどい思い上がりだ。この時の自分を殴ってやりたいものだ。これまた馬鹿な話で依然と何も変わらずの人生。そのまま6年生を卒業し、中学へ。中学1年になった自分も変わらなかった。なんせ田舎なのでメンバーはほとんど変わらないのだ。自分が変わるには環境を変えないと無理だと思っていた。そんな自分に朗報がくる。再び親の仕事の転勤で転校だそうだ。よし、今度こそ生まれ変わる。このままではだめだとわかってはいる。転校先は今より2つ目の学校よりも小さい1学年1クラスしかない学校だった。クラスは15人、なんか結束力とか強そう。こんな中に入っていけんのかよ(笑)そんな感じでした。ところが彼らはすごいアットホームな雰囲気で迎え入れてくれたんです。やっぱり人が少ない田舎の方が人情に厚いんですかね~。それは僕にはわかりませんが生活は中学から少しだけ変わりました。人見知りである僕は人の付き合い方が未だわからず相手の発言に対して肯定するだけでした。しかしこれは今振り返れば思うことで当時は人見知りが改善されたと思っていました。もう悩む必要なんてない。本気でそう思っていました。中学校の生活はごくごく平凡でした。でも今までの僕にとっては輝かしい日々でした。平日は話す友達がいて、休日もみんなで外で遊んだり、たまに家でゲームしたりしました。そんな風にいつもグループで行動していたけれど、ある時ある友達と2人きりになったときがありました。予想できた方もいるんじゃないでしょうか?また、こんな経験した方もいるんじゃないでしょうか?2人きりになって会話した会話はほぼ0。ちょっとの会話はあったけれどそれは何回かキャッチボールした程度です。そんなものは会話とは言えません。このとき僕は「うわー気まずいな~何話そう....」くらいにしか思いませんでした。ある時、中学の先生に5年制の学校を勧められます。うちの県では5本の指に入るくらい偏差値が高いところです。小学校の時一時期不登校ではあったけれど学校の勉強はそこそこできていました。先生は「面白いところだぞ。今のお前には特にオススメだ」と言いました。この時の僕はやはり超絶あほなので「え?なんでですか?」とは聞かず、「へ~」くらいにしか思わなかった。

7 :だっちーさん:2017/11/16 01:39:02 (6年前)  0MONA/0人

中3の夏に体験入学があったのでどんなところか行ってみました。「....!!!」そのスケールのデカさに驚かされました。まずは校舎。こんなデカい学校があるのか。というか本当に学校なのか?と。そして人の数。たしか体験入学は2日に分かれていたはず。なのにこんな大勢の中学生が来ている。体験入学の内容も今までの経験からは考えられないほどのものばかりで、結局やりたいことを見いだせない僕はどの学科もすべて魅力的でした。僕はこのときはじめて自分の意思を持った気がした。「この学校に入りたい...!」そこでまず気になったのはこの学校にはどのくらいの人が入学するのかということでした。あれだけ見学しに来ているんだからものすごい倍率に違いない。ホームページを見ると僕が一番興味を持った学科が一番倍率が高かったんです。当時、推薦が3.1倍、学力が5.1倍。「うわまじか。受かんのかこれ。」とびぬけて学力は良くないし推薦を狙うしかない。そう思いました。もちろん勉強も今までにないくらいやりました。といいたいところだがゲームはしていたし、漫画も読んでいた。いま思えば大した勉強量じゃないです。推薦の点数はギリギリ規定に入り、推薦を受けることができた。結果は不合格。まだだ、まだ学力がある。面接は正直上手くいかなかった自覚があるので落ちる覚悟はしていました。問題の学力だがこれがかなり難しい。今の自分でさえも思う。学力は第1希望から第4希望まで書くことができる。この際だからなんでもいい。とりあえず受かってくれという思いで全学科を希望しました。ところが結果は不合格。第4希望ですら通らないのか...やっぱり世間は甘くないな。そう思いつつ、県立の高校を受験。正直偏差値的にはかなり下なので回りの受験生を見下していた。これもふざけた話だ。おまえはレベルの高いところを受験した身かもしれないが推薦も学力も落ちているんだよ。結果はまあ余裕で合格。

8 :だっちーさん:2017/11/16 01:39:14 (6年前)  0MONA/0人

中学の友達もいるし、まあ楽しく暮らしていこう、そう思っていました。ところがある休日の日。友達の家で遊んでいると親から電話が掛かってきた。何かと思ってでてみるとなんと最初にうけた5年制の学校に追加合格したと中学校から電話が来たと言う。「え?どういうこと?」その学校を合格した中学生の中で県立進学校へ行くものが多く、枠が空いたためその枠に見事滑りこんだんです。「うお、まじか。こんなことあんの笑」おれはツイてる。しかも受かったのは第1希望!やっほい!なんてそのときは手放しに喜んでいましたが喜んでいられるのも今のうちでした。まさかこのときは入学してすぐあんなことになるなんて思っても見なかったんです…第2章「世界がガラリと変わった瞬間(仮)」に続く

9 :だっちーさん:2017/11/16 07:15:52 (6年前)  0MONA/0人

長すぎたと思うけどどうかな?

10 :名無し二段:2017/11/16 07:39:21 (6年前)  0MONA/0人

なげえよ

11 :syuribox四段:2017/11/17 14:45:10 (6年前)  0MONA/0人

Monappyのメモログとかを検討してみては?
かなり長文もいけるとおもう、たぶん
でここのスレに宣伝を書けばいい。
改行してくれ頼む頼む
後半とかを有料記事にすることもできます(売れるとは言っていない)

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